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2022. 4.15.Up Dated.
信じる者は救われる?

 この言葉には主語がありませんので、いくつかの候補を当てはめてみます。
最もポピュラ―なのは「神や仏」だと思いますが、これは布教活動に際して使われるようです。日本にキリスト教が伝来されたとする16世紀に、宣教師が布教活動で使った言葉ともされていますが、当時はキリスト教宣教師が各地を回って布教活動を行ったものの、必ずしも成果を上げられなかったとも言われています。
その原因の一つに、冒頭の言葉に続いて「キリストを信じない者は地獄へ落ちる」との言葉にもあったようです。 恐らく宣教師はたどたどしい日本語でこのように説いたようですが、これに対して自分の親や先祖はキリストなんて知らないで死んだので、地獄へ行っているという事になるのかと反論され、これには上手く対応できなかったとも言われています。
イエズス会のフランシスコ・ザビエルを中心として日本への布教活動を展開したものの、結果として成果は上げられず、豊臣秀吉の時代に宣教師による奴隷売買斡旋が発覚してキリスト教が禁止されてしまい日本への布教活動は終わりました。
若い人は知らないと思いますが、宣教師等のことを「キリシタンバテレン」と言いますが、かなり否定的な意味の言葉です。
それではキリストという神ではなく、仏はどうでしょう。念仏信仰等では「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽往生するという浄土真宗が大きな勢力を築きましたので、これは「仏(阿弥陀如来)を信じる者は救われる」という事になると思います。
翻って現代はどうでしょう。 神や仏にしろ信じる者は救われるという言葉は余り使われませんが、それでは日本人は信じる対象がないかというと、そんなことはありません。
神社仏閣へのお参りや、巨石や巨木等の自然信仰も残っていますし、先祖供養の習慣も根付いていますから、多様な信じる主体を持っていることになります。

次の主語として、「他者を信じる者」という使い方もあります。他者他人を信じる者は救われるというのはかなり胡散臭くて危ない話ですが、実は現代はこれが主流です。 テレビや新聞等の話は無条件に信じる、政府や役人の指示命令は盲目的に従うというのは、「他者を信じる者は救われる」と考えていることにも繋がります。
完全に他者を信じている訳ではないとしても親のいう事よりマスコミを信じる人が多いようですから、その優先順位は高い人が多いようです。

最後の主語になりますが、「自分を信じる者は救われる」というのが最もしっくりくる気がします。他者の言を自分というフィルターを通して判断するのは通常の行動ですから、冒頭の言葉の正しい使い方はやはり「自分を信じる者は救われる」だと思います。
これにより自分が信じる対象は近親者や先祖であったり、神や仏、自然という形に分散しますから、これが本来の用法だと言えます。

果たして皆様はどれでしょうか。
「マスコミを信じる者は救われる」と言われたら反発するでしょうが、これを上手く誘導しようとしているのが今の社会です。


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