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2022. 4. 8.Up Dated.
思考は自分のもの?

 人は日常的色々なものを見聞きして、それらに感心したり怒ったり楽しんだりしていますが、その中で事実と認識できるのはどの位あるでしょうか。
勿論自分自身の目や耳で確認したことは事実と考えられるでしょうが、他人から聞いた事をそのまま事実と判定するのは早計でしょう。
例えば、新聞に書いてあることも他人の認識を読んでいるだけですし、それを書いた人は知らない人です。テレビも同じで、アナウンサーの話している台本を書いた人は知らない人ですが、テレビは画像や映像で補完するので、事実と認定してしまう人も多いと思います。
今は、画像はもちろんのこと動画もいくらでも加工編集できますから、知らない人が出している映像を無条件で信用できません。
このように書くと至極当たり前のことですが、このような情報の流布に慣れてしまうと、疑うということを忘れてしまいがちです。
普通は全く知らない人の言説を鵜呑みにする人は居ませんから、どのようにすれば信用してくれるかを計ります。
先ず、経歴や肩書を出すことですが、勿論これも偽情報の場合もありますので、所属している組織・団体や表彰歴も出すと思います。これも虚偽の場合もありますが、経歴詐称は公職以外では法的問題となりませんから、悪く考えればどのような経歴も自由です。
「テレビで言っていた」という物の考え方は、突き詰めれば見ず知らずの他人の言う事を引用しているに過ぎません。
では何が信用できるのかというと、それは自分の目と耳で確認し、自分で判断したことになります。
このコラムも私が書いているものですが、私自身をセミナーで確認し、その言説を聞いてどのような考えを持った人間かが理解できた人もかなりの数に上ると思います。
これらの方たちは、コラムの内容を自分の判断で合理性の可否を判定できると思いますが、私と会ったことも私のセミナーを聞いたこともない人にとっては胡散臭いと思うのが普通です。
私も会ったことも話したこともない人の言説は鵜呑みにはしませんし、その人がどのような経歴でも権威でも同じです。
「外見で判断するな」と子供の頃から教えられていましたから、先ず会って話すことから始めなくてはなりません。
当たり前のことを書いていると思う人も多いでしょうが、実はこの当たり前を忘れるように仕組まれていたらどうでしょう。テレビはその最たるツールで、先ずアナウンサーが尤もらしい顔で話し、〇〇大学教授という肩書等を持った人にも登場してもらいます。 そして画像や映像を流せば完璧ではないでしょうか。
性善説で物事を見たいという意見もあると思いますが、その考え方を深掘りすると、他人の意見を取り入れるだけで自分では判断しないから楽だという心理もありそうです。
いちいちそんな風に見ていたら面倒だし、そんな暇もないという声も聞こえてきそうですが、自分の人生が面倒だと思ったり、人生以上に大事なことがあったりするのでしょうか。
私のような見方は窮屈だと思うかもしれませんが、全くそんなことはありませんし、逆に楽しめる要素が増えます。
疑問に思う事は進歩のきっかけですから、その疑問を考え追求することで少しは賢くなります。自分の思考で物事を判断するという自由も得られますから、面倒でもなく億劫でもありませんが、皆様はどうでしょうか。


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