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2021. 4. 9.Up Dated.
情報の見分け方

 SNSの世界では数多くの情報が飛び交っていますが、それらの真偽を明確に把握することは誰であっても困難だと言えます。
それでも長年に亙って文章を書いたり話したりする機会を持っていると分かってくることがあります。私の経験から照らすと、嘘の情報を発信していると、何処かで論理が破綻したり話の辻褄が合わなくなったりしてしまいます。
一方、自分が信じている内容を発信している場合は、他人から見て視点の相違はありますが、論理の破綻や辻褄が合わなくなることは先ずありません。具体的に言うと、とんでもないような情報を発信しているSNSもありますが、その文章や語り口に一貫性があって破綻がないのは、少なくともその人はそのように考えていることが分かります。即ち、真偽は一旦置くとしても、その人はそのように信じていると考えて良いと思います。
多くのSNSを見ていると、俄かには信じられない情報を発信している人を見かけますが、その文章を辿ったり話を聞いたりしていると、論理の破綻がないケースも多くあります。
これを私に当てはめて考えてみると、このような文章を書いたり話したりすることは、嘘をベースにしていては到底無理だと言えます。(私だったら途中で精神が崩壊します)
勿論、一つの文章だけであれば可能かも知れませんが、連続して同じ趣旨の内容を発信するのはどう考えても無理です。「狂人なら可能なのでは」とも考えてみますが、狂人には論理の一貫性を保つことが出来そうもありませんから、狂人説も無理があります。
こうなると、真偽の判定は直ぐに出来なくとも、その人は少なくともそのように信じていると判定することは出来ます。
従って、ここからはその人の見方・主張をどのように扱うかという個々人の判断になります。
私の場合は、このように情報は一旦頭の中の引き出しに入れておいて、事後に起こる事象によって活用したり死蔵したりしています。
これをすると、かなり頭を酷使する事になるので疲れますから、適当に休んで気分転換をしないと続けられませんので、自分のペースに合わせて情報を取得したり遮断したりを繰り返すことになります。
今の時代、何が起こっているのか真実は何かを追い求めるのは簡単ではありませんが、一方でそれを探れる手段は提供されていますので、情報の海の中から自分になりの基準を以て取捨選択することで追求することが出来ると考えています。


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