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2020.12. 4.Up Dated.
情報民主主義の新潮流か

 最近の情報の流れを見ていると、新聞・テレビ等のオールドメディアからネットへのシフトが加速しているように見えます。
例えば、中国の王毅外相の日本の記者会見での発言に対する茂木外相の対応に激しい批判が集まっています。従来であれば、このような記者会見はテレビでは編集されてしまいますから、全容は伝わりませんし、日本の外相の態度などは放映されませんが、ネットには記者会見の全部の動画が流れて、従来では伝わらなかった内容が多くの人の目に触れました。
更にこの動画がネットの情報チャンネルやYouTuberによって拡散されたことで茂木外相への批判が高まり、茂木氏のツイッターは炎上しています。
この現象にはいくつかの示唆を含んでいるように見えます。
一つは、内容の適否は別として個人の見方や意見が直接伝わるようになっていて、特にマイナスとして見られた場合は激しい意見が直接当事者に伝わるようになっています。
従来であれば、マスコミというフィルターを通して間接的なコミュニケーション方法になっていましたので、間に入ったマスコミによって緩和されたり歪められたりしていました。 例えば、朝日新聞の慰安婦虚偽報道もその一つだと言えますが、今であればこのような報道はネットで激しい攻撃を受けて直ちに謝罪訂正を要求されてしまいます。勿論ネットに飛び交う意見には過激なものや間違いも多いですが、それは世間の普通の状態で、マスコミによって制御された情報空間より遙かに現実社会に近くなります。
ネットを批判する人は主としてオールドメディア側に与する人かも知れませんが、整然と制御された空間は現実社会ではありません。現実は色々な物が交じり合って混沌としているものですが、ネットによってその現実が多くの人に伝わるようになっていますし、相互に会話できるようなってきました。
一方、このような環境に対応するのには、特別なノウハウは必要ありません。必要なのは普通に社会で生きる知恵だけです。
長く生きた人であれば当たり前のことですが、世の中は真偽と悪意・善意が交じり合っていますから、その中をどのように生きていくかという知恵を身につけなければなりませんから、それを新たな情報空間に適用させるだけのことです。寿命を得て生き残ってきた人たちはこの知恵を身に付けているからですので、これから特別なスキルを必要とはしません。
一方、若い人たちはこのような環境でサバイバルするには人生の知恵を習得していかなくてはなりませんから、それなりの悩みを伴いますし努力も必要となります。
このように書くと、至極当たり前のこと言っているような気がしてきますが、当たり前の実現こそ最高のスキルではないかと思います。


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