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2019. 6.28.Up Dated.
参院選の行方

  7月に参院選が行われます。 衆院とのダブル選挙の観測もありましたが、結局は参院選単独のようです。
今回の参院選は、これからの日本の方向を決める最初の分かれ道になると考えていますが、その最たる理由は憲法改正の是非を問う最初の国政選挙になるからです。
大阪でG20が開催されていますが、ここでの首脳会談は現在の世界情勢の難しさを表すことになりそうです。
またトランプ氏が日米安保にも言及しているようですが、私の推測では日本国内での憲法改正論議の契機となるべく働きかけをしているような気がします。
私は憲法改正については容認派ではありますが、その是非は一旦置くとしても、憲法改正論議は日本人がどのような人間性を持っているのかを問われることになりそうです。
賛成でも反対でも、結局は自分と家族そして同胞の安全をどのように守っていくのかを問われます。
川崎の殺傷事件に見られるように、ある日身に覚えのない攻撃によって生命が脅かされますが、これを仕方ないことと考える人は居ないと思います。
今の国際社会を見れば、これと同じようなことが起こりえますが、それに対する対処方法が問題です。
国内事件であれば警察と司法が対処することで抑止出来ますが、国際事件では自衛隊の分野になりますので、自衛隊が動けるのか否かによって解決方法も異なります。
仮に自衛隊が必要な措置を取れないのであれば、現実的な手段はなくなります。
無法(攻撃側にとってはそれなりの理屈がある)な攻撃や干渉に対して、話し合いが意味をなさないのは当たり前ですが、仮に警察に該当する米国が日本の為に犠牲を払うと期待するには、日本が米国の属州になるという前提が必要となります。
独立国家として存続したいのならば、自らで対処しなくてはなりませんから、無法を抑止したり排除したりする軍事力(国内で見れば警察に該当する力)が必要です。
そんな想定自体があり得ないという意見は、北朝鮮による拉致事件をどう考えているのかを説明できなくてはなりません。
私のような団塊の世代にとって拉致事件は自らが招いた不幸だと言えます。数百人の日本人が外国に拉致されているにも拘わらず、有効な手段を取らなかったのは私たち世代の責任です。
自分の家族や親戚とは関係がないことで、無関心を装ったりしましたが、仮に自分たちに降りかかった問題であれば、それでは済まされません。 私にも孫が居ますが、仮に自分の孫が被害に遭うのであれば、どんな対抗手段も厭いませんが、当時は見捨ててしまったと言えます。
政治家も動きませんでしたが、その背景には私たち有権者の無関心と臭いものには蓋という意識があったからです。
多くの国民が、結局は自分勝手の選択した為に拉致事件は何年も続いてしまったと言えますので、この問題は私たち世代に深く突き刺さった棘です。
当時、北朝鮮は日本と戦争となることはない前提で拉致を行ったのは明白ですが、仮に米国人を拉致すれば確実に戦争になりますから、それはしません。
詰まるところ、軍事力がない(行使できないも含む)国へは、自分たちの理屈で何でも出来るというのが現実です。
私が子供の頃には韓国による一方的な李承晩ラインの設定によって、多くの日本の漁民が拿捕されて韓国に抑留されました。
当時は、戦前世代が国民の多数を占めていましたから、戦争止む無しという意見も多かったようですが、これを必死に抑えたのは国内の左翼勢力でした。当時の左翼勢力は国内の色々な分野にいて、文化人・学者・ジャーナリスト達が平和論を唱えて、拿捕される漁民を見捨てました。
自分たちを誰かが無償で守ってくれる事はありませんから、これから私たちはどうするのかを否応なしに考えなくてはなりません。
私たち世代が経験した人間として恥ずべき事態を再び経験するのかにも関係しますから、今回の参院選は、戦後初めてそれを問う国政選挙になると思います。 そして今の若い人たちがどういう判断を示すのかを注目していきたいと思います。


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